ののの本事情

ののがおすすめする本を紹介します。

静かな空間をつくる

穏やかなひと時を過ごすためには、静かな空間が必要です。

静かな空間は、想像するに、整理整頓された不要なものがない、

換気が行きとどいた部屋だと思います。

 

不要なものがない、ということは、何もないことではなく。

自分にとって、必要なもの、気に入ったものが、

手に届く範囲に陳列していることだと思います。

 

現状は、必要なモノはあるけど、これから必要かどうか分からないモノや、

片付け作業が億劫で部屋の片隅に積み上がっているものや、

年末掃除や連休中に手が出せなかった掃除していない箇所があって、

換気が行き届いた静かな部屋にはまだ遠い感じです。

 

これから、穏やかなひと時を過ごすために、

少しずつ、お部屋をお手入れしていきます。

 

そんな、穏やかなひと時を綴ります。

2本の麦茶

2日に1回、麦茶をつくる。

昔ながらの、やかんに水を沸騰させて......ではなく、

百円均一で買ったボトルに麦茶パックを入れてお湯を注ぐ。

 

それだけ。

 

 

それだけでも、地味に時間はかかる。

ボトルは毎回洗って、なるべく殺菌処理もする。

お湯はケトルがあるが、沸かすまでの時間は手持ち無沙汰になる。

それに、麦茶パックは入れっぱなしにしとくわけにはいかないから、

ちょうどいいところで取り出さないといけない。

 

なんやかんや、待ち時間を合わせると30分はかかる。

それでも、家に帰ると、いつもの麦茶があるとホッとする。

会社で一息ついた時に、口にすると肩の力が抜ける。

 

そのホッとする一時を過ごすために。

30分、仕込みをするのだ。

 

 

 

生命の継承

 

人の輪を見かけた。

 

小学校にあがったくらいの小さき人を

囲うように大人たちが集まっていた。

 

何事かと首を突き出した。

 

その小さき人の両腕には、

更に小さい生命そのもののが抱かれていた。

 

正直、小さき人には重荷だと考えてしまった。

しかし、生きていれば関わることである。

 

恐らく、小さき人から申し出たのだろう。

自分も抱っこしたい!と。

 

周囲の大きい人たちは止めず、

むしろ率先して小さき人を助けていたように見える。

 

 

小さき人は両腕でしっかりと、生命そのものを受けとめていた。

少しぎごちなく見える。

 

小さき人の前方と左右に大人たちが、

真横には小さき人よりも少し背が高い髪の長い少女が

見守るようにして寄り添っていた。

 

まるで外国の絵画のようだ。

 

なんだか、教えられた気がした。

命とは、肌と肌を関わることで継承していくものだと。

 

 

見る視点

同じ通勤路。

 

後ろから風がふいて、髪がなびいた。

髪の先端が自分の頬をくすぐる。

 

何だか呼ばれているような気がして。

振り返ってみた。

 

そこには違う景色が広がっていた。

通い慣れた場所は、つまらないコンクリート色しかない風景。

 

でも、もっと遠くから見るその場所は、色とりどりの看板があって、

久しぶりに晴れた空も手伝って、知らない場所に見えた。

 

 

誰かと同じ場所に立っていても、見ているものが違うのかもしれない。

 

ごみと落とし物

一見、ゴミに見えるモノがある。

 

他人が見ればゴミでも、

持ち主から見れば、とっておいたモノかもしれない。

 

一点のモノは、誰が所有するかによって場が変わる。

 

何も知らなければ、状況から推測するしかない。

何も調べていない状態で、結論を出すことは賢明ではない。

 

ごみだろうが、落とし物だろうが、

他人のモノを粗末に扱うことは良くないだろう。

 

それは境界線を越える危険な行いであるからだ。

 

 

 

1輪の花

 

建物の周囲に美観のための植木がある。

まるで、この範囲までが敷地だと無言の主張をしている。

 

そこに1輪の花が咲いている。

誰もが知っている花だった。

 

いつも枝と葉っぱだけが好きなように伸び生え、

緑の一面しか見せてくなかった植木。

 

手入れをする立場から言わせれば、

「意外な一面を見せてくれた」ものだ。

 

お花って、

咲かなければ、お店に並べられないのよ。

 

今では誰が言っていたか分からない、有名な言葉である。

 

本当にそうだった。

 

いつも素通りする場所が、たった1輪の花が咲いたことで、

視線が止まる場所になった。

 

咲くまでに、栄養をためたり、切られないように潜めていたのだろう。

 

周りの緑に囲まれながら咲いた一際赤い1輪の花は、

称賛を浴びるかのように、太陽に向かって花びらを大きく広げていた。

 

 

 

 

 

 

お祭り、行きたいっスね。

 

視界の隅に腕一本ぐらいの長さの小さい"のぼり"がある。

広告として受付に設置されていた。

 

いつもなら、もっと活気あふれる場所で見かけていたというのに。

最近はめっぽう減った。

これも流行りのウイルスのせいか。

 

本来の大きさの"のぼり"は、人でごった返して、人とはぐれないように、

道に迷わないようにすることが大変な場所で見かけるはずだった。

 

あと何年すれば、そんな行事が開催するのか。

何だか、待ち遠しい。

 

数年前までは、煩わしいと思っていたけれど、無くなると寂しいもんだ。